出来れば、もう少し若い頃に読んでおきたかった本がある。
自己啓発書籍では最高峰、アルフレッド・アドラーも影響を受けたという、デール・カーネギーの著書「人を動かす」である。
中でも、アメリカ・ジャーナリズムの古典のひとつと言われている『父は忘れる』という短い一文。
著書の中で、カーネギーは「あなたが、子ども達に小言をいいたくなったら、この一文を読むように薦める」と記している。
『父は忘れる』 リビングストン・ラーネッド
坊や、きいておくれ。おまえは小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に息苦しい悔恨の念にせまられた。罪の意識にさいなまれておまえのそばへやってきたのだ。お父さんは考えた。これまで私はおまえにずいぶんつらく当たっていたのだ。おまえが学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。靴をみがかないからといって、叱りつけた。また、持ち物を床のうえにほうり投げたといっては、どなりつけた。今朝も食事中に小言をいった。食物をこぼすとか、丸のみにするとか、テーブルにひじをつくとか、パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。それから、お前は遊びに出かけるし、お父さんは駅へ行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、おまえはふりかえって手をふりながら、「お父さん、いってらっしゃい!」といった。すると、お父さんは、顔をしかめて、「胸を張りなさい!」といった。同じようなことがまた夕方に繰りかえされた。わたしが帰ってくると、おまえは地面にひざをついて、ビー玉で遊んでいた。ストッキングはひざのところが穴だらけになっていた。お父さんはおまえを家へ追いかえし、友達の前で恥をかかせた。「靴下は高いのだ。おまえが自分で金をもうけて買うんだったら、もっと大切にするはずだ!」──これが、お父さんの口からでた言葉だから、われながら情けない!それから、夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいるとき、おまえは悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。うるさそうに私が目を上げると、おまえは、入り口のところで、ためらった。「何の用だ」と私がどなると、おまえは何も言わずに、さっと私のそばへ駆け寄ってきた。両の手を私の首に巻きつけて、私にキスした。おまえの小さな両腕には、神様がうえつけてくださった愛情がこもっていた。どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。やがて、 お前はばたばたと足音をたてて、二階の部屋へ行ってしまった。 ところが、坊や、そのすぐあとで、お父さんは突然何とも言えない不安に襲われ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたのだろう! 叱ってばかりいる習慣───まだほんの子どもにすぎないおまえに、お父さんは何ということをしてきたのだろう!決しておまえを愛していないわけではない。お父さんは、まだ年端もゆかないおまえに、無理なことを期待しすぎていたのだ。おまえを大人と同列に考えていたのだ。おまえの中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。おまえのやさしい心根は、ちょうど山の向こうから広がってくるあけぼのを見るようだ。おまえがこのお父さんにとびつき、お休みのキスをしたとき、そのことが、お父さんにはっきりわかった。他のことは問題ではない。お父さんは、お前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。 お父さんとしては、これが、おまえに対するせめてものつぐないだ。昼間こういうことをはなしても、おまえにはわかるまい。だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。おまえと仲良しになって、いっしょに喜んだり悲しんだりしよう。小言を言いたくなったら舌をかもう。そして、おまえがまだ子供だということを常に忘れないようにしよう。 お父さんは、おまえを一人前の人間とみなしていたようだ。こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりおまえはまだ赤ちゃんだ。昨日も、お母さんにだっこされて、肩にもたれかかって いたではないか。お父さんの注文が多すぎたのだ。